信じるとはどういう事か

 

 


人は割合簡単に誰かに対して「信じている」という言う。
そしてそのあと決まって言う言葉、「信じていたのに」または、自分の心を正当化するために、信じてるから、 と言い続けたくなってしまう。


表現(言葉)というものはどんなものでも、 表現された現実とのあいだに隙間を作ってしまう。つまり、「 信じる」と言った途端に、 それを純粋には信じていないことになる。 ほんとうに純粋にそれを信じ切っているのならわざわざ「信じる」 などと言わないはずなのです。信じるという表現の中には、 常に既に「疑い」の要素が入っているのかもしれない。「 信じると言うことは、疑っていること」 と言ってもいいかもしれません。

日本には「信じる」 という言葉は存在しなかったという説があります。 日本という島国ではわざわざ「信じる」という言葉によって、「 信じている」 という現実を客観視する必要がなかったのかもしれません。 信じると言うまでもなく信じていた、 そして信じるという言葉を知ったときに、 疑うということを覚えたのではないでしょうか。

「信じる」というのは、「信じたい」 という期待なのだと思います。だから、 その期待が失望に変わったとき「信じていたのに、裏切られた」 となるのだと思います。

信じるということは、 裏切られるかもしれないという疑いを片隅に置きながら、 それでもそれに賭けるという思いなのではないでしょうか。

 

僕の中には信じるという概念がありません。
僕は稼ぎたい、そう思って生きているだけなので、 信じるという概念が必要になったことがありません。
物事に対する判断においても、 信じるという概念はとても危険なので、 あくまで検証による正確さで判断します。